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新潟県長岡市‘醸造の町’摂田屋の蔵元 長谷川酒造株式会社

歴史・造りについて

天保13年(1842年)12月15日

信州の武家であった先祖は、戦国時代に越後へと移り、そこを定住の地としました。
弊社の屋号が「信州屋」である謂れはそこにあります。
蔵の西側には、信州・諏訪大社から勧請(かんじょう)されたという諏訪様が祭祀(さいし)されているのもその由縁です。

江戸時代〜明治初年まで攝対屋(せったいや)(現会社所在地:新潟県長岡市摂田屋(せったや))は長岡藩牧野領と蔵王領に分かれて統治されており、弊社は上野寛永寺所轄の蔵王領にありました。
天保の飢饉の最中、厳しい倹約令が発令される牧野領とは相反し、蔵王領ではお神酒造りの名目で5軒に酒造りが許されました。その中の1軒が弊社です。

天保13年12月15日、百姓であった重吉(じゅうきち)は蔵王代官所に70石の酒造りと、奉納後の残酒を売る商いの許可を願い上げ許されました。これが長谷川酒造のはじまりです。その後、2代目当主より「彌吉(やきち)」の名を襲名し、酒造りの伝統を守り続けております。



    酒造御用記「御神酒作り願出候一件如左」
    


特定有形文化財

CEO


母屋は明治19(1886)年、出雲崎町山谷の久賀権治郎氏により建てられました。これは母屋の屋根裏より見つかった「棟札(むなふだ)」により明らかになりましたが、この「棟札」が見つかるのは大変稀な事だそうです。

建築当初、母屋は当主の住居として使われており、その他番頭部屋、住込み部屋、瞽女(ごぜ)の部屋などもありましたが、今では皆様をお迎えする試飲スペースや事務所として使っています。

※主屋は2012年9月登録有形文化財に答申されました。

母屋と長屋続きになっている醸造蔵は大正8(1919)年棟梁水沢茂吉氏により建てられました。柱や壁には『平和記念』と書かれた墨書が随所に見られます。これは第一次世界大戦を前提に記されたものと推測され、このような記載は他の建物には見られないとても珍しいものだそうです。

右は大正8(1919)年に刊行された「北越商工便覧」の一頁です。「北越商工便覧」とは商家の様子を描いた貴重な書物です。残念なことに中越地震により左右の2棟とレンガ造りの煙突は倒壊し、再建することは叶いませんでしたが、それ以外の建物は今も昔の姿を残しています。


造りについて

CEO


云わずと知れた酒どころ新潟。
しかしなぜそんなにも酒造りが盛んなのか、理由は色々あります。

まずは酒造りに最適な「環境」。当社のある長岡市は冬の日照時間がとても短く、昼夜の気温差が少ないのが特徴。また例年積雪があり、このような気候が美味しい酒造りには欠かせない一因となっています。



CEO次に「水」について。長岡東山連峰から注ぎ込む清流は清く柔らかな軟水であり、これが雑味のない透明感ある酒造りに大きな役割を果たしています。大寒の頃に仕込む大吟醸酒が、華やかな香りと軽やかで洗練された味わいになるのは、雪解け水が注ぐ冷たく清らかな清流の賜物です。

最後に最も欠かせない要素である「人」。
弊社はほぼ全ての工程を手作業で行っています。機械に頼らず、杜氏・蔵人たちの熟練の技と経験により、米それぞれの特徴を生かした旨みのある酒造りを目指しています。精米された傷つきやすい米を素手で丁寧に洗うこと、和釜を使って蒸すこと、小さなタンクでの仕込むこと、細部まで目が行き届く範囲しか造らない、そんな思いを持ち続けながら毎年造りをしています。







バナースペース

長谷川酒造株式会社

〒940-1105
新潟県長岡市摂田屋2-7-28

TEL 0258-32-0270
FAX 0258-35-6066